株式会社東芝を退職し、無職になりました

2015 年4月~2024年3 月末を持ちまして、株式会社東芝を退職しました。
東芝では約9年間、非常に多くの方々にお世話になりました。ありがとうこざいました。
東芝の業務
入社の経緯は、修士1 年の夏のインターンシップまで遡ります。
修士1 年の夏、私はSpeee と楽天のWeb系のインターンシップのどちらに行くか迷っていました。上場前のスタートアップか、メガベンチャーか。楽天は全応募者の中でインターンの選考が1 位で合格したことを知らされていました。そんな時、大企業である東芝がWeb系のインターンを開催していることをたまたま見つけ、リスクを大きく取る上場前のスタートアップか、安定の大企業の2 つがいいだろうということで、Speee と東芝のインターンに行くことにしました。
Speee のインターンではエンジニア向けの上級インターンシップに参加させていただき、非常に優秀な方々とあるチームでWeb アプリを開発する、充実した3週間を送りました。その後に行った東芝のサマーインターンでは、とあるRedmine のプラグインを開発するというもので、1 週間ほどで完成させました。
製造業の大企業でWeb系の開発に従事できることに驚くとともに、幅広い事業領域の仕事に携わることができること、課長がテンション高めで楽しく仕事ができそうだと感じ、ファーストキャリアとして東芝を選択しました。
配属部署と業務内容
インターンの時と同じ部署であるデジタルイノベーション・テクノロジーセンター(通称DITC、旧ソフトウェア技術センター)に配属されました。この部署は東芝グループ内の技術力を底上げするミッションのもと、東芝グループ内の問題を委託研究という形で解決する部署です。大学院修士・博士が大半を占める特殊な環境で、様々な業種、領域の受託に携わることができます。いわゆる受託ッカーです。
Linux カーネルのメンテナー、openSUSE のメンテナー、Rubyのコミッター、旧帝大を飛び級して卒業した方、アイビーリーグに客員研究員のキャリアがある方、社会人ドクターで優秀修了者を受賞した方などが在籍しており、優秀な頭脳が集まっている類まれな環境でした。最近の研究開発の成果は、デジタルイノベーションテクノロジーセンターI 東芝にまとまっているかと思います。
研修制度として若手にインパクトが大きいものだと、ワーク・アサインメント(通称WA) と呼ばれる、約6年間に及ぶ教育制度があります。

WA とは、メンターという先輩指導者の元、実際の業務・技術の課題を解決する過程を通して、技術力や問題解決能力の向上を促進する制度です。3年目を初級、6年目を中級エンジニアとして位置づけ、その節目ごとにこれまでの研究開発の成果をDITC 内の全メンバーの前で発表する必要があります。(参考:採用:教育制度l デジタルイノベーションテクノロジーセンターl 東芝)
このWA の面談の中で、「一つのことを突き詰めるスペシャリストか、全体を俯緻するジェネラリストの2 つの道がある、君はどっちだ。」とセンター長に問われました。いずれ独立することを決めていたため、ジェネラリストで教育してくれと返答。フルスタックエンジニアとなることを入社1 年目で決めました。
先聾方に可愛がってもらっていたこともあり、本当に希望通りに教育していただき、上レイヤー(Web系)から低レイヤー(HDD Firmware) のソフトウェア開発、インフラレイヤー(パブリッククラウドを用いた開発)、Al の開発に従事することができました。上レイヤーから低レイヤーまでお仕事させてもらえるという、スタートァップでは決して経験できない、大企業ならではの醍醐味を味わうことができました。本当に感謝しています。
業務内容について詳しいことはあまり書くことはできませんが、センター外の方との協業という面では、ベトナム子会社とのオフショア開発、ITの雄Google社、大手戦略系コンサルティング・ファームの方々との議論で、これまで狭かった視野を大きく広げることができました。
大企業といったら開発環境があかんというイメージが大いにあるかと思いますが、心配無用。入社当初は
RAM :4GB だったものの、上司などに相談することでRAM:32GB という人権を手に入れることができました。理由がつけられればDeep Learningに十分使える高性能なGPU を手に入れている方もいて、たまに間借りさせてもらっていました。これから入社する人は、開発環境で困ることはないと思います。
大企業では珍しくAWS やGCP などを面倒な申請不要でさわれますし、オンプレだけで開発せよという僻地に閉じ込められることもありません。TeamsやOutlookが強制されていた点は非常にストレスでしたが、それを除けば良い環境だったと思います。
年休は年に24 日ほど付与され、毎年すべて消化することができました。コロナ禍の真っ只中のGW に年休をかまして11日お休みをいただいて、東芝の研究所(神奈川県川崎市)から実家熊本市までの1,300km を
BRIDGESTONE のTB-le という自転車で帰ったりしてました。プチキャリブレイクといっていいかと思います。
「本当に年休を全消化するやつが出てきた」といってネタにされることはあったので、図太さは必要です。
振り返ってみても、働き方はとてもホワイトだったと思います。育休や産休は数年間取ることができ、子供が小学生までは労働時間を2時間短縮できる、いわゆる時短勤務制度が適用されている方も中にはいました。
業務に話を戻すと、直近ではPOS レジを主業務とする東芝テックの受託案件では上司や同僚と非常に相性がよく、超高速にアジャイル開発をこなすことが評価され、センター長付の業務表彰を受賞。その後、入社7年目と最速で東芝テックのCDO(Ch ief Digital Officer) 室(いわゆる役員室)に現職出向することができました。
受賞歴と実績
教育に関しては手厚かったと思います。東芝テックではパブリック・クラウド(AWS、GCP、Azure) の資格費用を全額補助する制度がありこれを全力で活用。AWS認定資格を約1 ヶ月で全冠することができました。
また、東芝グループ全体を対象とした、東京大学の先生が講師をされている「東芝Al技術者教育」でAl全般を学びました。この教育は、講義数ヶ月のあと、各自でAl を実装し、その成果を発表する2本柱で構成されています。
成果発表会で優れた発表をした人は優秀者として執行役員から表彰されます。
所属のセンターから課長以上の方々も受講する中、研究所にもかかわらずなかなか受賞者が出てなかったこともあったため、賞を狙って取りに行くことを決め、取れると思ったタイミング、いわゆる頃合いを見計らって受講。
無事に、所属のセンターから初の受賞者となることができました。
受賞歴等は以下の通りです。東芝に入ってからなかなか受賞できない辛酸をなめる日々が続きましたが、ここ数年でようやく花が開きました。必死に仕事をすれば、社外でも通用する力を十分つけることができると思います。
- 一▼東芝▼—
- 2024年01 月AWS認定資格全冠(株式会社東芝初、東芝グループ内で2人目)
- 2023年03月東芝Al技術者教育(東大との共同開発)セッションA 第2位(所属のセンターから初の受賞者。センター内から述べ20名ほど受講)
- 2022年12月東芝社内CTF(Capture The Flag) 5位out of 68th (SecBok201 6ベースで、CISO トップレベル相当)
- 2022年04月東芝ソフトウェア技術センター業務表彰優秀賞
- 一▼学生▼一
- 2014年12月DPSWS2014 優秀ポスター賞
- 2014年08月DICOM02014 優秀論文賞
- 2014年07 月DICOM02014 最優秀プレゼンテーション賞(1 st out of 293th)
- 2013 年09月株式会社S peee Speee賞(上級インターンシップ優勝)
- 2012年01 月シードアクセラレーションプログラムMOVIDA SCHOOL 2期生
- 2006年東工大・大阪大Su percom puting Contest Finalist
東芝を辞める理由
退職を決意するまで
順風満帆と思える状況で、なぜ辞めるのか。その理由はスタートアップでインターンしていた頃にさかのぼります。
大学院に入学してすぐ、実はすぐに休学してインターンしていました。強烈に印象に残っているのが、当時30名ほどの株式会社アカツキ(TYO: 3932) という、ソーシャルゲーム開発のスタートアップ。ガラケーからスマホに移り変わっているタイミングでジョインしました。市場が急激に立ち上がっているフェーズで何かが起きるのではないかというワクワク感、皆が同じ方向に向かって全身全霊で突き進む圧倒的なエンゲージメントを目の当たりにし、これまでにない充実感を感じました。「世界中の人の手の中に」をコンセプトに世界中の人にプロダクトを届けるアカツキ。
エンジニアであれば、誰しもが、自信が作ったプロダクトを多くの人に届けたい、そう思うことでしょう。このときに、いつかタイミングが来たときに、これをやろうと決めていました。
アカツキでは、スタートアップをやるなら市場の黎明期に参入する、すなわちタイミングが何よりも大事であることを肌で実感していました。東芝に入社してから、ずっとずっと、このタイミングを待っていた。市場の盛り上がりはサイクルがあると思っています。株価をマクロで見てみると、立ち上がるのは10~12年周期。だいたい入社10年目ぐらいにその波が来るだろうなと思っていたところ、やはりそのタイミング(2023~2024年)で、生成Al· 空間コンピューティング・暗号通貨の3 つの市場が立ち上がりました。
昨年(2023年)にリリースした生成Al 系の個人開発では、一部上場企業のWeb メディア等でも取り上げられ、ユーザ登録者数は2700名を突破、この生成Al の波は本当に来ていることを一次情報から確信しました。
まさに今やるべきだと、直感が訴えてきました。
Don’t let noise of others opinion drown out your own inner voice.
And most important have the courage to follow your heart and intuition.
They somehow already know what you truly want to become.
Everything else is secondary.
他人の意見に惑わされて、自分の内なる声をかき消さないこと。
そして最も重要なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。
それらはすでに、あなたが本当になりたいものを知っている。
他のことは二の次でいい。by Steve Jobs, CEO of Apple, Inc.
とはいえ、最初から独立することを決めていて入社したものの、超大企業をやめて大丈夫か?と不安もありました。
会社の経営状況
退職に大いに影響のあったのは言わずもがな、会社の経営状況です。
2015年に入社し、入社して2 ヶ月後の新人研修中に粉飾決算で会社が揺れるという、非常に珍しい経験をしました。同じ部署の方が「本当は辞めたくなかったのですが」と会社を去っていったり、同期が子会社に異動になるなど、自身の周囲で大きな影響がありました。この時、大企業でも安定などないのだなと肌で感じました。売上高は6.6兆円から3.3兆円に半減、社員数も20万人から10万人に半減。家電や半導体、医療系など次々に優良な事業が切り売りされていきました。
尊敬してやまない先輩方が次々に退職。優秀な人から辞めていくとはまさにこのことです。粉飾の影響か分かりませんが東証の上場廃止ルールが変わってしまい、粉飾決算に関与した3社長は公訴時効で刑事罰を受けない等で、色んな方から後ろ指を刺されることが何度もありました。
また、36協定で残業が厳しく規制されており、裁量労働のみなし残業時間も半減し、年収が100万円以上下がるなど、生活にも影響がありました。職場の先輩からは、今までで一番といっていいほど辛酸をなめているのが2015年~の入社だと言われ、非常につらかったです。
財務の面での不安もありました。非常に似たような事業を行っている日立製作所がデジタルにポートフォリオを転換する中、インフラ偏重のポートフォリオに危機感があります。Microsoft社などIT大手がAl の研究に数兆円という類を見ない額を投資することを発表しました。これにより、現状安定だと思われるインフラ事業がひっくり返される可能性が高まったと言えるでしょう。私はこの領域は門外漢ではありますが、例えば、家庭に設置でき、家庭の電力を十分賄える新技術が開発されるかもしれません。
「常識とか、道徳とか、倫理とかこういったものっていうのは、5年、10年単位で簡単に書き換わります。」
by 堀江貴文
会社員生活も9年目に差し掛かったそんな頃、新規事業を立ち上げるための人材として海外駐在3年間という魅力的なオファーの内示をいただきました。ただし、エンジニアとしての力は十分ついたと判断しビジネスの0→ 1 に携わりたかったものの、エンジニアとして扱われてしまうこと、既存事業が厳しい状況で社内のお金を使わせていただくのは心苦しい気持ちがありました。
アカツキでは社内のムードメーカーと言われるほど明るかった私ですが、東芝に入社してからは諸々の事情で憂鬱な気分を抱えていました。ストレスで暴飲暴食を繰り返し、久々に会った知り合いには「東芝で何かされたのか?なんでそんなに老けたのか」と心配されるほどでした。
キャリアの境目で、市場が立ち上がっているし、今回は直感に従って生きようと心に決め、ここでキャリアブレィクすることにしました。
今後の展望
今後の展望ですが、人生初の無職になるということで、右も左もわからない状況です。今後リリースするプロダクトについては、じっくり考えて決めるのが性にあっているため、数力月寝かせようと思います。
「世界中の人の手の中に」をコンセプトに、多くの人に影響を与えるプロダクトを届けていきます。
無職の今後をこ期待ください。ありがとうこざいました。